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東灘区の歴史
古代から東灘は、山と海の豊かな恵みを受ける生活に適した場所でした。たくさんの歴史舞台となり、また、風土を生かした酒造業などの産業も発達。さらには、大阪から移住して邸宅を築いた富裕層らによって、西洋の生活様式を吸収したモダンなライフスタイルが育まれました。豊かな自然が身近に感じられ、落ち着きある美しい街並みにも恵まれた東灘は、水上勉の『櫻守』や谷崎潤一郎の『細雪』に登場するなど、多くの作家たちからも愛されました。
古来、そして現代の東灘区(2020/10/20更新)
古代から山と海の豊かな自然に恵まれ、人々の生活に適した場所であった東灘。多くの歴史舞台にもなった地ですが、その風土を生かして水車業、御影石の切り出し、酒造業などの産業が発達しました。1950年に御影・住吉・魚崎・本庄・本山が神戸市に合併して東灘区が誕生。1993年には六甲アイランドが完成します。古い街並みや酒蔵などが破壊された阪神・淡路大震災からの復興を果たしたいま、東灘区は阪神間の人気住宅地として不動の地位を確立しています。
【2024年6月更新】東灘区と阪神間モダニズム
阪神間が優れた住宅地として発展した起因は鉄道開通による住吉駅の開業ですが、具体的には工業化の進展で大阪市の住環境が悪化する明治30年代中期頃から、大阪の企業家・実業家たちが御影・岡本・芦屋へ移住して邸宅を築いたことによります。彼ら富裕層によって築かれた近代的な文化や芸術、ライフスタイルを「阪神間モダニズム」と呼びます。東灘には、阪神間モダニズムの影響を受けた建築物がいまも残っており、一般に公開されているものもあります。
東灘区と文学のつながり
海・山・川の恵みに育まれた落ち着きある東灘の街は、文学作品の舞台として数多く登場します。水上勉、野坂昭如、谷崎潤一郎など、東灘区にゆかりの深い作家も多くいます。水上勉の小説『櫻守』のモデルとなった笹部新太郎の邸宅跡は、現在は「岡本南公園(桜守公園)」に。野坂昭如原作『火垂るの墓』のアニメ映画で兄妹が母親に会うために目指した御影公会堂も現存しています。谷崎潤一郎が『細雪』を執筆した「倚松庵」は、住吉東町1丁目に移転しています。